合併症の発症メカニズム
糖尿病性腎症の臨床経過(以下のようなタイムスケールで進行する)
これは糖尿病の発症時期がはっきりした1型糖尿病のケースであるが2型糖尿病もほぼ同様の経過をたどると考えられる。
病期 | 検査値異常 | 自覚症状 | 病態 |
第1期 (腎症前期) |
正常 |
なし |
GFR正常 |
第2期 (早期腎症) |
尿試験紙法蛋白(-)尿中微量アルブミン 分泌増加 30~300mg/gCr |
なし |
GFR正常~増加 |
第3期A (顕性腎症早期) |
尿蛋白陽性 |
なし |
GFR正常~増加 |
第3期B (顕性腎症後期) |
尿蛋白陽性 (1g/日以上) |
浮腫、高血圧 |
GFR低下 |
第4期 (腎不全期) |
血清Cr2.0以上 |
浮腫、高血圧 食指不振 全身倦怠 |
GFR著明に低下 |
第5期 (尿毒症期) |
透析療法導入 |
尿毒症症状 |
GFR 0 |
糸球体の働き: 腎臓の糸球体の役割は血液の濾過、血液中の老廃物や有害な物質を取り除き尿の形で体外に排泄する。糸球体は編み目の様な構造をしており正常の状態では、赤血球や蛋白など大きな分子は、糸球体の編み目を通過することなく尿にはでない。一方、水成分や尿素窒素などの老廃物は分子の大きさが小さく尿の方へと濾される。高血糖が持続すると糸球体の機能を障害、この濾過する能力が低下するのが腎症である。
初期は血液中のアルブミンが少量ではあるが糸球体から尿へと漏れだす。この時期は従来の尿検査ではわからなかったが、最近は微量アルブミンを測定できるようになり、早期に腎症の存在をキャッチできるようになった。 その時期が過ぎるとさまざまな蛋白が漏れだしその量の多くなり簡単な試験紙法による尿検査でもわかるようになる。さらに進行すると、糸球体の破壊が進み糸球体からの尿毒物質の排泄が困難になり、腎不全状態となる。
GFR:糸球体濾過量 腎臓が尿素窒素などの血液中の不要物質(ゴミ)を濾過する量で腎臓の機能を表す指標、通常は100以上である。
腎症発症のメカニズム
高血糖に起因する細胞内のソルビトール蓄積、PKC活性の亢進、サイトカインのTGFβ産生増加、またグリケーションによるAGEの蓄積などにより、腎糸球体近傍に存在するメサンギウム細胞の細胞傷害、細胞外基質の増加が起こり、糸球体硬化、腎機能障害が惹起されると考えられる。
メンサギウム細胞:腎糸球体細胞の周りに存在し、糸球体濾過量を調節している。
TGFβ: サイトカインの一つ 生体内に広く存在し多様な生理活性(組織の修復、細胞外基質の亢進、分解抑制など)を有する。組織の修復には必要なものであるが過剰になると上記の様な細胞障害性を示すと考えられる。
網膜症の進行の分類にはいろいろなものがあるが、比較的単純で臨床的に有用なものが以下の分類である。これらを診断するには蛍光眼底検査が不可欠である。
(1)進行の遅い非増殖性網膜症
=単純性網膜症(SDR:simple diabetic retinopathy)
点状出血、硬性白斑、動脈瘤
このステージでは血糖コントロールにより点状出血点消失、改善することができる。
(2)進行性で視力の予後が不良である増殖性網膜症
=前増殖性網膜症(prePDR:pre proliferative diabetic retinopathy)
SDRの所見に綿花様白斑、網膜内細小血管異常、静脈異常を伴う
増殖性網膜症(PDR:proliferative diabetic retinopathy)
新生血管増殖、硝子体出血
特に黄班部に病変を認めるものはSDRでも視力低下を来すので、糖尿病性黄班症といい、局所的光凝固療法の適応となる。浮腫性病変、虚血性病変、網膜色素上皮性病変に分類される。
網膜症とは、高血糖により引き起こされる網膜の異常な血管新生とその新生血管の破壊による網膜出血、網膜剥離である。
腎症と同じ様なメカニズムで血管の機能障害が生じその結果、非常に脆い血管新生が生じる。この新生血管が生じる時期を前増殖性(pre-PDR)、増殖性網膜症(PDR)という。
3大糖尿病合併症の病因はいずれも細血管障害である。この細血管障害がどのように慢性の高血糖により惹起されるのか?は必ずしも明らかになっていないが、以下に述べるような仮説が考えられている。これらの異常が単独で血管障害を引き起こしているのではなく、複数のメカニズムが関与していると考えられる。いずれにしても重要な要因は高血糖であることは共通している。高血糖による細胞内代謝系の障害の生じる部位、すなわち、腎臓のメサンギウム細胞、網膜の細胞、神経細胞などでは細胞内へのブドウ糖取り込みはインスリン非依存性に行われることが知られている。すなわち、インスリンの不足状態でも血液中のブドウ糖濃度が上昇すれば細胞内のブドウ糖濃度が容易に上昇する。細胞内に過剰に取り込まれた糖は解糖系酵素で代謝されるが、それでは間に合わずいくつかのバイパス経路を通って代謝される。このバイパス経路で代謝される際に細胞障害が惹起されると考えられる。
インスリンを介さずに細胞内にブドウ糖が受動的に流入する細胞においては、ブドウ糖をソルビトール→フルクトースに代謝分解し細胞外に排出するポリオール代謝経路が存在する。 高血糖になれば細胞に流入してくるブドウ糖量が上昇、ブドウ糖をソルビトールに還元するアルドーズ還元酵素の活性が亢進しソルビトールが細胞内に増加する。一方、ソルビトールからフルクトースへ代謝するソルビトール脱水素酵素の活性が上がらないため、ソルビトールが速やかに代謝できず細胞内に蓄積、細胞内浸透圧の上昇により水分が細胞内に流入し細胞は膨潤する。 これが細胞の機能障害を引き起こすと考えられる。
グリケーション(非酵素的糖化)とは、ブドウ糖などがタンパク質に非酵素的に結合する状態である。食品化学の世界では古くから糖液の中でタンパク質をつけておくと固く、茶色くなる現象として知られていたが、生体内でも同じ様なことがおこっていると知られるようになったのは20年ほど前のことである。赤血球中のヘモグロビンのグリケーションもまた、赤血球の変形能の低下、酸素運搬能力の低下などにより末梢組織の酸素不足による細胞障害も助長されると考えられる。グリケーションが進行すると非可逆的な変化を生じ、終末糖化産物(AGE)を生じる。 このような状態においては蛋白分子が架橋形成などを生じ、組織は硬く変性する。また、AGEは一種の異物であるのでこれを除去するためにマクロファージ遊走、サイトカイン放出を引き起こし細胞傷害を惹起する要因となる
フリーラジカル産生亢進
ブドウ糖の自動酸化、グリケーション、AGE産生のプロセスで多くの活性酸素、フリーラジカルが発生、またマクロファアージがフリーラジカルそのものやサイトカインを放出する事により高血糖状態では酸化ストレスが高まっていると考えられる。これらフリーラジカルは血管内皮細胞などに対し細胞障害性に働く
PKCは血管の透過性、収縮能、細胞外基質の産生、などの血管機能の維持に関与する酵素である。糖尿病状態における過剰なブドウ糖の細胞内流入により内因性のDG(ディアシルグリセロール)が増加することによりPKCが活性化し、その結果血管基質の肥大、透過性亢進などにより血管障害が惹起されるのではないかと考えられている。特に網膜症、腎症の進展に関与している可能性が高く、DG−PKC経路を阻害するビタミンEやPKCb阻害剤をマウスに投与したり遺伝子操作でPKC活性を抑えることにより、網膜血流の改善、腎における糸球体濾過量や微量尿アルブミン分泌などが改善することが動物実験で報告されている。
現在、すでに欧米でPKCb阻害剤のヒトを対象にした臨床試験が始まっており結果が待たれる。
糖尿病合併症の進展には血小板も重要な役割を演じていると推測される。糖尿病患者では活性化血小板が増加しており、凝固系亢進状態になっている
大血管障害は糖尿病特有の合併症ではないが、糖尿病は独立したリスクファクターとして重要である。細血管障害と同様に高血糖が動脈硬化を促進している。そのメカニズムとしては細血管障害のメカニズムで解説したと同様のメカニズムに加え、酸化LDL、糖化LDLの増加によるマクロファージによるLDL粒子の貪食、泡沫細胞化、サイトカイン放出による平滑筋細胞の増殖などによる血管の粥状動脈硬化の進行が考えられている。
さらに 大血管障害による閉塞性動脈硬化の最終局面である血栓生成過程で血小板の機能亢進が大きな役割を演じていると考えられる